福島県伊達市 "ほどよい田舎"に来てみませんか?

絹文化の魅力

元地域おこし支援員 浜田です。

 皆さん、伊達で最も有名なものといって思い浮かぶものは何ですか?

・桃やあんぽ柿をはじめとした芳醇な果実の恵み?

・伊達の魂のリズムである霊山太鼓?

・近代の伊達を支えたニット産業?

確かにこれらは今の伊達では欠かすことのできない素晴らしい産業・文化資源ですが、これらは歴史をたどっていくと一つのあるものに結び付く事を皆さんご存じでしたか?

それは、養蚕をはじめとする絹文化です。 今回から2回にわたり、今日の伊達の文化を築き上げてきた原点といわれる絹文化の魅力について触れてみたいと思います。

  • シルク文化の歴史

伊達のある信達地域は古くより奥州地方で有数の養蚕・生糸・絹織物の生産地でした。 その由来として奈良・平安時代に養蚕を川俣・月舘に広めたと言われる「小手姫伝説」が残されています。 その中でも伊達地方は、梁川・伏黒の蚕種(種もの)、掛田の生糸(登せ糸・折り返し糸)、川俣の絹織物(羽二重)に代表される養蚕から派生した絹産業は伊達の各地域で固有に発展していき、それらが連携する事によって絹の一大複合産業地域として発展してきました。 特に江戸・明治期は「シルクの伊達」として全国でも名だたるブランドを築き繁栄を遂げました。

 絹の一大消費地である江戸や京都から遠方の東北の地で、なぜかつてこれまで繁栄してきたかは興味深いところです。 この理由として諸説ありますが、

①伊達の気候土壌環境が良質の桑の生育に適合

江戸期前半に統治していた米沢上杉藩による養蚕・絹産業の奨励

③(後述する)有能な養蚕家・製糸家たちの出現による製品の高品質

④明治期東北本線開通による流通の距離的デメリットの解消

などが、東北の彼の地で「シルクの伊達」として発展してきた要因とされています。

小手姫の像(川俣中央公園)

では、伊達の養蚕・シルク産業の中で、伊達のブランドを全国に轟かせた具体的なものっていったい何だったのしょうか? それをいくつか紐解いてみたいと思います。

 <その1>高品質な蚕種生産

 いい織物はいい生糸にあり。 いい生糸はいい蚕にあり。 いい蚕はいい種もの(蚕種)にあり。 と言われるように、良質な蚕の卵は伊達の絹産業の発展の原点となりました。 古くより当地では養蚕の増産や蚕種の品種改良の研究を積極的に行われた地域であり、掛田の佐藤友信が明和3年(1766) に書いた「養蚕茶話記」は当時の最高の養蚕技術書として称えられました。 特に健康で良質な蚕が生育される当地の高品質な蚕種は全国的にも評判を呼びました。 行商人達は全国の養蚕地に当地の蚕種を販売し、養蚕の技術指導とともに伊達の名声をあげてきました。 江戸期の安永元年(1772)には幕府より奥州「蚕種本場」の称号を頂き、名実ともに全国に「種ものといえば伊達」のブランドを確立しました。

旧亀岡家住宅(蚕種製造で財を指した亀岡家の豪農住宅)

<その2>掛田の登せ糸、折り返し糸

健康に育った蚕から生産された高品質な生糸は、蚕種とともに全国的な評判を形成しました。

特に掛田地方で生産された「登せ糸」は江戸後期には絹織物の先進地京都の西陣と盛んに取引が行われていました。かの霊山太鼓のルーツは京都に行った行商人が持ち帰ったものではないかと言われています。

江戸期の長い鎖国も終え、明治期に入ると海外との貿易が盛んとなりました。当時の3大輸出品といえば生糸、蚕種紙、お茶。なかでも生糸は、奥州生糸として信州・上州の生糸に肩をならべる輸出品として外国人に喜ばれました。もともと伊達の生糸は手作業で個人依存のものが多く品質にバラツキがありましたが、掛田出身の安田利作が「折り返し糸」という革新的な製法を編み出し、その生糸が海外の博覧会で評判を呼び、「掛田の折り返し糸」は海外で一躍有名なブランド生糸となりました。驚くべき事ですが、明治の頃の海外出版の世界地図に書かれた

日本列島の地名は“YOKOHAMA”と“KAKEDA”の2都市のみが記載されていたという事です。

いまでこそ想像できませんが、掛田の町の往時の繁栄ぶりが伺い知る事が出来ます。

掛田折り返し糸 

安田製糸の輸出向け商標

<その3>川俣の羽二重

養蚕技術を広めた小手姫伝説の地である川俣町は昔より機織り業が盛んな地域でした。特に川俣は羽二重と呼ばれる繊細な絹織物の生産が特色で、福井、石川とならぶ日本三大羽二重生産地の一つとなっています。特に川俣のものは「軽目羽二重」という極めて細い絹糸から織られたものが特徴です。また、明治期に「大橋兄弟式力織機」が発明され、手工業中心の伊達地域内の他シルク産業と異なりいち早く産業の機械化に成功した地域でした。全盛期に比べ機織り工場の数は減ってきましたが、先人たちのDNAは引き継がれ今でも「世界一薄い絹織物を作る町」としてその地位をゆるぎないものとなっています。

大橋兄弟式力織機(かわまたおりもの展示館)

川俣シルク

いかがでしたでしょうか?

伊達地方に根付いたシルク産業・シルク文化はあまり知られていないところかもしれませんが、かつて、日本・世界に冠たるブランドを築き上げてきた伊達のシルクの偉大さに多少なりとも共感して頂けると幸いです。

 次回は、これらのシルク町伊達の足跡をたどる「伊達の絹文化を訪ねて」というバスツアーを企画し、1月15日に開催した様子をお送りしたいと思います。

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