私の経験はあんまり参考にならないと思いますので先にごめんなさいしておきます💦
当時ブラックだったIT業界に居た私は、1年間の東北転勤で地方の生活に染まり、
満員電車に往復2時間半揺られる社畜の生活に戻れなくなった。
都会には人混みに適応出来ない体になってから、どうしようかと燻っていた時に
「遅咲きのヒマワリ~ボクの人生リニューアル~」という地域おこし協力隊が主役のドラマを見てしまい、
生田斗真に今の自分を重ねた。
地域の広い空き家に住んで、地域貢献し、必要な人材となって、出会った女性と仲良くなる。
そして、そのまま定住という理想的な展開。
社会人になって15年経験を積んだ人間がこのドラマに影響され、
ホントに人生リニューアルすることになった。
今考えると、とっても疲れていたのでしょうなぁ(-_-;)
地域おこし協力隊になることを決意し、地域おこしフェアに行った。
お気に入りの東北地方を見る予定だったが、
西日本に活気があってそちらを中心に回ってしまった。
伊達市のブースは完全にスルーで、ブースがあったことも気付かなかった。
帰りに会場にあった持ち帰り用のパンフレット見て伊達市に応募した。
応募した自治体は伊達市を含め3つ、岩手県西和賀町・山梨県都留市。
西和賀町は面接に行った際、駅前の建物が雪で崩落しているのを見て、
自分は豪雪には耐えることができないと判断し辞退。
都留市は都心や実家から近すぎて、田舎感を味わえないからこちらも辞退した。
比べて伊達市は東京から新幹線で2時間半程度の程よい距離で、雪も多くなく、
何より阿武隈急行が気に入った。
そして、当時は地域おこしの第一人者、小田切徳美先生がアドバイザーを務めていたことで
この地域には何かが魅力的なものがあるのではと興味を持った。
市長面接では自分のアピールはせずに、ここでどう生きたいかを話した気がする。
面接に行った数日後、退社の挨拶をしに行った際、社長と食事をすることになった。
次の仕事について話をしたところ、社長の出身地が保原町宮下という所だから驚いた。
当時の市長の父の教え子だったから更に驚きだった。
後から聞いた話だが、当時の勤務先には伊達市にゆかりのある人が更に2人居たことがわかり、
これは何か大きな縁があるのだと感じてしまった。
面接の食い気味でない回答が良かったようで
2015年5月に伊達市の地域おこし協力隊員として拝命され、正式な伊達市民となりました。
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