3・4回目と冬の厳しさをお伝えしました。今回は涼やかな夏の話をしましょう。
「家の作りやうは、夏をむねとすべし」とは、吉田兼好の『徒然草』の言葉。住まいは夏を快適に過ごせるように作れば、「冬は、いかなる所にも住まう」つまり冬はいかようにもしのぐことができるという意味です。しかしこれは京都の町家では通用しても、「寒冷地」である阿武隈高地界隈では全く通用しないことは前回・前々回で詳しくお伝えしたとおりです。兼好法師には失礼を承知で言います。住まいは「冬をむねとすべし!」
ここでは家々は、すべてが陽光(それも朝日!)を最大限取り入れられるよう、山あいの斜面を削った突端に建てられたりしています。わが古民家も、急傾斜の砂利道を300メートルほど登った先にありました(冬は四駆でないと登れませんよ、ちなみに)。かつては蚕さまの餌となる桑畑が山の斜面を切り開いて植えられていましたが、養蚕がすたれ、桑畑は鬱蒼とした山へと還りました。桑畑が現役だった頃は、わが古民家も太陽の恩恵を受けていたと思いますが、それが届かなくなったというわけです。
当たり前ですが、太陽が届かないということは、涼しいということです。そう、夏は快適でエアコン要らず。それどころか、真夏でも窓を開けて寝ると、冷んやりしてきて眠れないほどでした。基本、一年中毛布は手放せませんでした。
暑さはしのげるけれど、虫の多さには悩まされましたね。家に帰るとまず、畳の上で飛び跳ねているカマドウマ(通称:便所コオロギ)を20匹ほどハエタタキで退治します。このとき、力に任せて叩くとカマドウマが破裂し、触覚やら足やら腹わたやらが飛び散るだけでなく、畳にも致命的な痕跡が残り、事後処理の特殊清掃が大変なので、ハエタタキのしなりを利用して峰打ちにし、失神させるのがポイントです。食事中も就寝中も、カマドウマはその跳躍力を生かして肩や頭や額に飛び込んできます。そのたびに峰打ちにし、ティッシュの中で優しく圧縮の刑に処すのです。
思えば、カメムシもゴキブリも生息せず、カマドウマが支配する家でした。おそらくカマドウマがカメムシらを食していた可能性も高く、ゴルフボール大の太ったカマドウマが次から次へ、倒しても倒しても毎日毎日出没してくるのでした(続く)。